蓮實 真理子
Mariko Hasumi

『Stage end/Take a firm hold on the rope』
 
東京   市田邸

 かつて秩序であった記憶の散乱と感情の欠落した記憶のよみがえりは、私達の日常において“断片的で不連続な変化”と言う形をもって時に人を脅かすものである。瞬時に感じた違和感を取り繕い他者と関わりを持とうとする際、無意識に誇張してしまう身振りや意図的な自嘲とも見える自己比喩によって、自分の経験にもと図く記憶を更新してしまう無意識。その無意識と言う意識には、演劇的要素が抱かれているように思う。変質しながら遠くへ移動していく記憶の辿る経路がそのまま新しい虚構の物語となり、そしてこのフィールドがそれらの物語を演じるための舞台へと変容していくのだ。舞台の端に境界がある。そしてそれらの舞台で、私が私をより私らしく演じる為の舞台装置をセッイングしていく試みを続けている。

“Stage end/ロープにしっかりつかまりなさい”
 今回の展示で古民家の蔵に表出させたこれらのモチーフは、私の寝室に張られた蜘蛛の巣から発想を得ている。地方での制作活動によって自宅を長期不在にした間の出来事。蜘蛛が本棚の隅で不気味な巣作りに励んでいた頃、奇しくも私は旅先でアブラゼミを捕まえた蜘蛛の巣を美しいと感心し眺めていた。
 蜘蛛の巣に対する感情に差異が生じたことと同じように、とある一つの事象に対し異なる感情が重複することは目に見えない所で日常的に起こっている。例えば、私は他者から「人参が好きか?」とふいに尋ねられた時、好きなのか嫌いなのかわからなくなることがある。あるときは人参を甘いと感じ、またあるときは苦いと感じることも原因の一つだろうが、産地や調理法の枠を超えて、好きな時は好きであり嫌いな時は嫌いなのである。人参に限った話ではないことは言うまでもない。感情の混同がもたらす意識の混乱は、私に錯覚という一瞬の恐怖を与える。実感は記憶へ変換されていく過程を繰り返す度に感情を複雑なものへと変化させながら、さらに遠くへいってしまうのだ。

だからもう一度目の前に蜘蛛の巣を表出させてみたかった。

 日本の古い家が持っている陰影のある空間、闇が満ちている世界を強調する為に、窓からの光を色に分解し、蜘蛛の巣にちりばめた真珠やクリスタルガラスを通して光の存在を明らかにしたいと思った。
 闇があるから光の存在を知ることができることと同じように、時に感情の差異を思い知ることも個を確立する要素の一つになる。原子の人々が暗い洞窟の中で目を研ぎすまし壁画を眺めたように、鑑賞者は蔵の薄明かりの中で蜘蛛の巣を仰視する。 その異様なスケールに気付くと遠近感を失い、まるで投げ網をしかけられた魚になったような気分になればいいのに、と思っていた。
 こんな意地悪も、ある景色を眺める為の一つの手段なのである。
 
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